
北海道日本ハムファイターズに所属する姫野優也選手の特殊すぎる高校時代について掘り下げています!
外野手として球団に属していた姫野優也選手が2021年9月には投手に転向し初登板で154kmを叩き出し周囲の度肝を抜いたことで注目されています。!
そんな姫野優也選手は高校時代は野球の名門校を退部・中退し、アルバイト勤務していたという特殊経歴の持ち主です。
姫野優也選手が高校を中退した理由やその後、プロになるまでの経歴をみてみましょう1
Contents
姫野優也が天理高校を退部し中退した理由とは?
姫野優也選手は今でこそプロ野球選手として活躍されていますが、プロになるまでちょっと特殊な経歴を歩まれてきています。
その中でも姫野優也施主の高校時代にあります。
姫野優也選手は大阪府枚方市出身で高校進学は野球推薦により、奈良県にある野球の強豪校『天理高等学校』に進学しました。
推薦もあったようですが「甲子園の常連校でユニホームもかっこいい」と天理への入学をきめたのだとか。
もちろん天理高校入学後は寮に入り野球として日夜練習していたようです。
GWごろまでは1年生ながらも高い運動神経を見込まれ先輩らと試合に出場するなど期待の選手として活動していました。
しかし、姫野優也選手は夏前に野球部を退部し、推薦入学だったため高校をも中退しています。
野球部を辞めたのは自分だけハードすぎる練習内容だったから…?
期待の選手として注目されていた姫野優也選手が野球部を辞めることになった理由はなんなのでしょうか?
過去のインタビューで野球部を辞めた理由について以下のように明かしています。
ランニングで他の選手より速いタイムを要求され、「自分だけ求められるハードルが高い」と不満を抱いた。今では期待の表れと分かるが、当時は練習がいやになった。寮を3回逃げ出し、8月に天理を去った。
毎日新聞
姫野優也選手は高いフィジカルから繰り出す、運動神経の良さに大きな期待が寄せられていたようですがそれが当時では辛いプレッシャーにしか感じられなかったようです。
自分にだけ高い結果を求められ、辛く当たられていると感じていたのだとか。
天性の才能ゆえに野球への努力と熱量と周りの期待とのバランスが悪く、逃げ出したくなったようですね。
姫野優也が天理高校を中退後は?
工場でアルバイトとして働きフラフラしていた
姫野優也選手が強豪校・天理高校を退学してからはどうすごしていたのでしょうか?
天理在学時代は練習が嫌になり寮を3回もに出だすほどだった姫野優也選手が辞めてからは工場でアルバイトをしていたようです。
また働きながら友達との夜遊びで出歩く日々だったそうで、姫野優也選手の当時を母・仁美さんは
「死んだような目をしていた」と明かしています。
小中高と野球を打ち込んでいた野球少年だっただけに姫野優也選手の中で、プレッシャーの強さや喪失感などいろんな思いがぐちゃぐちゃになっていたのかもしれませんね。
そんな姫野優也選手のお父さんが見かねて、
「心配しているのが分からないのか。親をこんなに苦しめて楽しいんか」。見かねた父勝之さん(46)に頬を思い切りたたかれ、目が覚めた。
毎日新聞
と思い切り喝を入れられて、再び野球を始めることを決意したようです。
姫野優也が大阪偕星学園に編入し野球部に所属
姫野優也選手は天理高校を中退した同じ年の9月ごろに大阪偕星学園(かいせい)に編入しています。
姫野優也選手が大阪偕星学園に編入することになったのは、一部では引き抜きと言われているようですが知人のツテで野球部の山本監督と出会い編入に至ったようです。
編入後は日本高等学校野球連盟(高野連)の規定により『転入から1年間は公式戦の出場ができず』高校3年生で初めて控え投手としてベンチ入りを果たしたようです。
また夏の大阪大会では甲子園常連の強豪・大阪桐蔭戦での勝利に貢献し、甲子園出場するなど活躍されたようです。
姫野優也の高校卒業後、プロ球団へ
姫野優也選手は高校3年生2015年の10月のドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから8位指名を受けました。
契約金1500万円、年俸470万円(推定)で入団に合意し晴れてプロ野球選手となったようです。
まとめ
姫野優也選手の天理高校の野球部を退部し学校を中退した理由や経緯について、そしてその後をまとめてみました。
なかなか珍しい経歴を歩まれていますが、やはりなんといっても姫野優也選手の天性のフィジカルの高さと本人の強い意志が結果に繋がったのでしょうね!
投手として転向した姫野優也選手のこれからの活躍が楽しみですね!!